神の概念・その③・・・№2 |
<げっぺい>
げっぺいや。神の概念の返信入れるで。只、うちが先に入れると、このバナーのQ&Aの順番おかしくなってしまうけど、はんさん許したってな。
うちな、こんなん書くの気恥ずかしいんやけど、輪廻転生信じておるねん。うちら人間は、何度も何度も生まれ変わっておると、昔から思うておるん。前世で大きな罪を犯した人は、例えば現世で肉体的なハンディを背負ったり、精神的なハンディを背負ったりする。そやけど、その宿命をプラスに転換させて、現世を楽しんだり、又、ハンディを持った中から真実を見極めたりして魂を磨く修行をしておると思うておるねん。神はんは、うちら人間にいろいろな宿題を出される・・・。又、たとえ何のハンディ無く生を受けたとしても、必ず自分がおる環境の中で、もがき苦しむ様に出来ておる。うちら、何度も生まれ変わりながら、長い時を経て、自分の魂を神はんに近づける旅を続けておるねん。そやから、前のページで神はんからの伝言確かに受けたけど、生を受けた中で犯した罪を、その生の中で昇華出来るちゅー事は、ある意味神はんに近づくプロセスを早足で歩いておると考えてもエエのやろう。又、例えば、何か大きな罪を犯した後で生まれ変わった時、物凄いハンディを背負って輪廻転生したとする。但し、そこで得る体験は、体験ではなく悟りだったりする。そうすると、恵まれ過ぎていて悟りを得る事が出来なかった魂と比較すれば、ある意味幸せな転生だったりすると言う事になる。何がエエのか、どれがエエのかわっからへんが、苦しみの中から神はんに近づくプロセスが生まれてくるという事なんやろうな。
そやけど、何でうちら人間は、いろいろな事で苦しんだり・悩んだりするんやろう・・・。太古の昔、まだ人が人に対し罪と言うものを持たなかった時代は、どうやったんやろう・・・。もしかすると、その時代に生きた人々は、実は神はんに一番魂が近い人々やったのかもしれんな。天候の流れや自然の移り変わり、天変地異や、時が経つ事で変わっていく自分の肉体の変化・・・全ての変化や変革に対し、何の疑問も持たなかったんやろうな。全ての事象は神はんの手の内に存在し、その中で生きている事を信じて疑わなかったんやろう。うちら段々賢くなってきくたさかい、人を裁いたり、人を憎んだり、時に嫉妬したり、つまらん感情や欲を持つ生き物に成長してきたのかもしれへんな。ここらで神はんに淘汰されん様、うちら純粋な魂をそろそろ持つべきなんやろう・・・。
分かり易く表現するなら、「月曜日には、自分にとって、とても嫌な事が必ずある」と仮定する。そやけど、「その月曜日が来てしまえば、次の月曜日までは、実は一番時間がある」事に気がつけば、少々の困難や苦しみなんかで悩むのが馬鹿馬鹿しくなってくる。つまり、今、自分が死んでしまいたい程苦しかったり、辛かったり、それ故罪を犯したくなったとしたら、「実は今が月曜日で、次の月曜日までは長い時間を与えてもらっている」と考えればエエのやと思うで。例えがちぃーっとややっこしいかも知れへんが、つまらん感情に走りそうになったり、自分を否定したくなったりした時は、「今が月曜日!」と思えばいいんや。うち、何か嫌な事があると、必ずそう考える様にしちょる。
少し話がズレてしもうたが、例えばつまらん感情を抑えきれずに、結果として罪を犯してしまった場合は、「今が月曜日」と考えて再生すればいいんや。又、人間一人を心から再生させるきっかけを与えたお役目の魂はんは、おそらく「その時期において、神はんからのお使い」やったと考えればいいのかもしれん。神はんからのお使いやから、当然神はんには近い。輪廻転生した時に、素晴らしい条件を与えて頂けるのかもしれへんで。
言葉にすると、うちら極論語っておるみたいやが、やっぱこれら一理あると思うで。又、現世で縁ある人々は、過去世でも何らかのつながりがあったのではないかと言う考え方には賛成や。意外に似た人間関係の中で、何度も魂を磨く旅を続けているのかもしれないな。おもろいな。
はんさん、そやろ?
投稿者 hongkong : 2005年09月29日 03:37






