香港大美園/ほんこんだいガーデン
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神々が集う、癒しの空間。

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福耳ネット<はじめに>

「はんさん」と、友人「げっぺいさん」の神様談義。
不思議な現象は明るく分析、未知なる世界は前向きに捉え、身近に存在する神々と人間との関係を考えます。一貫したテーマは、「神様、うちらと一緒におるん?」。


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投稿者 hongkong : 2005年08月30日 : 只今のコメント数(0)

「福耳ネット」にようこそ

「福耳ネット」にご訪問頂きましたお客様、はじめまして!
わて、「香港大ガーデン」で働く、通称・はんさん言うモンです。不思議世界に関しては、勉強中の未熟人間やけど、一応神はん好きの花の独身。素敵なオージ様が見つかるまでは、当分神はんを一方的に片思いする事に決めてまんねん。さーて、このページでは(既に記載済みやけど)、宗派を問わず神はんや神はんの存在について考えてみようと思うてます。勿論、神はんを語る上では外せない超常現象や心霊現象についても意見言わせて頂きますが、オカルティズムはそろそろ卒業しようと思うておりますさかい、不思議現象のみにとらわれず、視野を広げて「神はん、いつも側におってくれてありがとう」をモットーに、話進めさせて頂くつもりです。長い自己紹介となりましたが、そんな訳で、皆さん宜しくお願いします。又、わての神はん好きの友人がこのページに参加希望しておりますので、わて同様、末永うお願い致します。・・・と、言う訳で、このページは随時日記代わりに更新していきますんで、気が向いたらいつでも遊びにいらして下さいな。謝謝御礼。

<はん>
ふう・・・、長い自己紹介になってしもうた。わて、形式ばった事は、あまり好きではないんや。さて、今日は花金やな。きっと、お店も混むんやろうな・・・。ところで、ここだけの話やけど、混み始めると、店の中に神はん集まってくるんやで。信じられまっか?「じゃ、それは何の神はんや。説明しろ」と言われても、今の所証明書無いんで困るんやけど、香港大ガーデンに集まってくる神はんは、はっきり言うて「光」や。
★今、目を丸くして「悪いページをクリックしてしもうた」と後悔している多くのお客はん、これからじわじわ証拠写真アップしていきますんで、楽しみに待っててや★
わてとこの店は皆信心深くてな、宗派なんかは特に決まってないんやけど、皆心の中で神はんおると漠然と思うておるねん。又、中国・中華のお店やが、日本と言うお国に敬意を表し、入り口には「盛り塩」・「財神はんには、お酒とお水と榊一式」・店中には「しめ縄」と、日本古来の伝統を重んじておるのが特徴や。ちょっとした日中友好モードやで・笑。
おっと、話が飛んでもうたが、お国・宗教・考え方を問わず、わてらの周りには、いつでも神はんが何気なく存在していると言う事を言いたかったんや。神はんが好む「場の雰囲気」ちゅーのが、どうもあるようなんやな・・・。この店のキャッチコピー「神々裕間」そのものやで。


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投稿者 hongkong : 2005年09月16日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その①

<はん>
「懐かしさを感じる」か・・・。この意見については、賛成やな。
ところで、わての経験やが、神はんが宿っている場所や寄り付いている所は、霊験あらたかな気に満ちている場所と何やリラックスし過ぎて眠たくなる様な場所・・・大きく分けると二種類あると思うちょる。現在、香港大ガーデンやガーデン裏、もしくは身近な例で申し訳ないが、わてんとこの部屋なんかは、完全に後者や。又、神社やご神木・ご神体と呼ばれているもの・大自然の中の山や滝・川・道等では、畏敬の念を感じる事が多い。いわゆる一般的に聖域と呼ばれている場所・・・、この様な場所が前者なんやな。
神はんに関しては、「元々目に見えないものや、形にならないもの。普段は山や海の背後におるが、時に自然や鏡・剣や玉・宝石等・場合によっては人間に寄り付いて、その存在や姿を現す」いう解釈の仕方が一般的や。普段は俗に言う天上界におるんやが、天上界とわてらが必死に生活しとる三次元はつながっちょるからな。ただな、例えばガーデンにおる神はん(精霊はん)に関しては、三次元ではなく二次元・もしくは四次元を感じる事があるんや。わて個人の考えやけど、「全ての次元は天上界とつながっておるが、神はんに非常に近い存在については、二次元に存在しておったり、四次元におったりと、時空を飛び越えて常に移動を繰り返している」んやないかと思うておるねん。分かりやすく言えば、「神はんの世界と生命体・時に神はんの世界と物質との間を行ったり来たりしている、宅急便のお兄はん」と考えればよろし。又、神はんは、一般的に「目に見えないもん」が定説やが、わての経験からいくと「時に、視覚で光や動きを捉える事が出来る」「気や肌で、存在を感じる事が出来る」「音で確認できる」「啓示とまではいかないが、一応質問するとお答えしてくれたり、方向性を示唆して下さる律儀な部分もある」と感じておる。
一神教か多神教か、個人の解釈は自由やが、結局「神」と呼ぶにふさわしい存在は、とどのつまり・・・たどりたどれば一つになると思うておるんや。神はんとは、「宇宙」であり、時に「時空を超えたもの」であり、それは過去から未来を含めた「ある法則」なんや。
始めからちぃーっと飛ばし過ぎやが、どない思う、げっぺいはん?

<げっぺい>
う・うううーん・・・。確かに、はんさん、ちぃーっとばかり飛ばし過ぎやな(笑)うち、どっちかと言うとのんびした性格やさかい、ボチボチとゆっくりいこうや。
昨日は、中秋の名月・・・・・伊豆の蛭が島までお出掛けして、ゆっくり愛でさせてもろうてきたで。勿論愛しのダーリン・彼氏と一緒や(笑)はんさん、羨ましいやろ。ところで、さすがに日本の方々が「名月」と呼ぶだけあって、心が洗われる様な美しさやった。380.000キロも遠く離れた所におるお月様なんやけど、手を伸ばせば届くのではないかと思う位、うちにとってはそれ程非現実的なモンではなかったで。なぁ、はんさん、うちら自然を感じる時って、素直な気持ちになるやろ?そんな時に、神様の存在感じへんか?上手く言葉で言い表せないんやが、心が「素」になった状態の時に、神様がすぅーっと心や体に入って来る感じがするんや・・・。
実は、うちも、神様は「宇宙の法則」あるいは「宇宙」そのものと思うている。そやから、基本的に宗派やお国は気にせえへん。でも、今は日本と言うお国にお世話になっているさかい、「神道」を身近に感じるんやな。日本の方は、どうも「祖先神」と結びついた土地信仰が強いと言う感じを受けるが、うちらの国から入った仏教が基本となっておるはずや。うち、日本の方に関しては、山神信仰と先祖崇拝の発展型的な要素を感じるんや。つまり、「神道」は、正直「仏教」とは切っても切れない結びつきがあると思うで。
ホンマは、うちら、ゴチャゴチャした理屈やこ難しい理論なんか関係あらへんのやないか?原始的な宗教意識を持ってこそ、宇宙や自然とスムーズに交流できるのかもしれへんな。つまり、はんさんも書いておるが、大元はおそらく一つやで。
そいから、うち、次元の事については、ようわからん・・・。多分、はんさんがデジカメや肉眼で精霊はんを直接見ているさかい、そこいら辺にこだわるんやないか?なぁ、はんさん?


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投稿者 hongkong : 2005年09月18日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その②

<はん>
そうか・・・げっぺいはん、おとといはデートやったんか・・・。しかも、中秋の名月デート・・・ロマンチックでエエなぁ・・・。ホンマ、うらめしい・・・、いや、うらやましい(笑)わても、ご一緒したかったですわん(爆)
さーて、おとといは、なんやかんやと忙しいガーデンやったが、昨日はのんびりした一日でしたわ。やはり連休最後の日は、お客はんの入り悪いみたいやな・・・。そや、このホームページを見ておられる善良なお客はん方、ガーデンにお出掛けになるのなら連休最後の日が狙い目でっせ(笑)お料理は早よう出てくるわ・サービスエエわ・和やかなムードやわ・愛想は抜群で、言う事なしや!お気が向かれれば神はんも登場するさかい、「ツーショット写真」も仰山可能やしな。絶対、来るべきや!
ところで、神の概念について話を進める前に、ここで神はんとのツーショット写真について「簡単に一考」してもエエやろか?神はんについての不思議な写真はいろいろあるが、まずホンマモンの神はんは、キラキラ光っておるのが特徴や。俗に言うオーブと違う点は、この強い美しい光なんや。又、わての経験した所での話しになりますが、神はんは「結構、センターが好き」でっせ。部屋の真ん中・中心部等、土地や場所のおへそ部分・・・特に寄り付いている場所がお気に入りであればあるほど、なぜかセンターにおる傾向がある様や。但し、交信と言うより、存在を示しておられる場合については、あまりセンター関係あらへんのやが、強くある意思を持ってその存在を表された場合については、必ず真ん中におるねん。しかも、殆ど定規で図ったかの如く、まん真ん中に位置される。併せて、神はんは方位にはかなり忠実や。通常は真北におる事が多い様やな。北には元々「神聖・誕生」と言う暗示があるので、これもまずまず納得がいく現象や。他、ダメ押しするなら、なぜか鬼門に位置する事もある様や。鬼門と言うのは、とかく嫌われる位置・縁起が悪い位置ではあるが、逆に「神聖・神秘」を意味する位置でもあるんやで。少し長くなるので、概念の段階ではこの辺りにしておくが、位置や方角はある程度神はん語る上ではキーワードになってくるねん。
尚、ツーショットに欠かせない神はんとの交信についてやが、人間側から念を送る場合と神はん側から念が送られてくる場合、他、物質を使って神はんがコンタクト取ってくる場合、ダイレクトに音で交信してくる場合等があるな。わては現在視覚より写真や音で神はんとたまーに交信しておるが、ここの所、神はん側からのコンタクトが強過ぎて電気系統が不可思議状態や。電気の点滅は元より、電気の色の変化(←これ、全く説明がつかない)に、画面の乱れや説明の出来ない画像等、物理学等全く当てはまらない所に特徴がある。又、視覚でその動きを捉えた場合については、重力等完全に無い状態と考えて頂きたい。瞬時の移動や残像を残しながらのスロームーブ等は、我々の常識を持って対応すると驚く事が多いで。但し、電気系統でコンタクト取ってこられる時は、どういう訳か緊急時が多い様に感じるのや。
尚、ここでわてが強調したいのは、神はんと心霊、特に人間界で悪霊と言われておるものは、根本的に違うので、間違っても一緒くたにするなという点や。又、純神はん系と、いわゆる守護霊のタイプ(善霊)系や人間の念が光となって現れているもの等も、全く違う。写真で比較してみるとその違いは一目瞭然なんやが、もうしばらく写真のアップは控えようと考えちょる。不思議写真をオンパレードしてご理解頂く方法もあるんやが、わて、この様な問題を興味本位や不思議の強調で済ませたくないんや。だって、神はん、見せモンやあらへんもん。又、げっぺいはんもおそらく漠然と思っておる事だと思うが、「神はんの存在を証拠としてアピールしてもいい場合と、感心できない場合がある」ちゅーこっちゃ。わてかて、見せモンになるのは嫌や。神はんやって、同じやろ。神はんを映像で感じる事は決して間違いではないと思うが、ホンマは心で感じるもんやからな。心で感じる事が出来ないと判断された場合、映像で訴えたり、実力行使でお出ましになるんやと思うで。尚、基本的に人間を驚かせる様な事はされない。それをするのは、神はんではなく、念や悪霊系の方や。この二つは違うモンやが、少し紛らわしい部分があるんやな・・・。つまり、交信する場合は、ここを正確に見分ける・知る必要があるのや。
・・・と、言う訳で、これら神はんとの交信等についての初歩的な情報を知った上でのツーショット写真は、案外楽しいもんやと言いたかった訳や。長ごうなって、すんまへん。


<げっぺい>
はんさんったら、マジ飛ばしすぎや(笑)こんなにぶっ飛ばして話進められたら、うちついて行けん。神はん系の問題は、一つ一つ、ゆーっくりと掘り下げながら、深ーく深ーく入り込んでいくもんやで。しゃあないから、今日のうちは「福耳ネット」で、コーヒーブレイクや。先日はんさんにプレゼントした「玉虫チャイナ」、気に入ってくれたか?又、かわゆいチャイナ発見したさかい、郵送しといたで。はんさんは少々変わりモンやから、うちの送ったかわゆいチャイナ着て、女っぷりをあげてちょ。きっと、素敵なオージ様が見つかるで(笑)しかし、はんさんのオージ様は、考えてみたら、条件かなり難しいな・・・。以下、うちの考えたオージ様像、箇条書きで書いてみたで。

①神様好きでなければいけない。
②神はんや精霊はんと交信しているはんさんを、変な人と感じてはいけない←交信方法が、かなり特殊。一歩間違えると、完全に危ない人や・・・。
③はんさんのマイ神社お手入れにお付き合いできる、広い心を持っていなければ無理。
④一般的に言う心霊現象を、普通の出来事と捉えられる素直な心の持ち主でなければいけない。
⑤精霊はんは光やが、心霊はんは人間の形をしている。心霊はんと友好関係が広くなってきたはんさんと一緒に、昼夜構わず心霊はんと会っても驚かない男らしい人。挨拶できる位の度量は欲しい。

以上やな。
オージ様、多分・・・今年も無理かもしれないな・・・。落ち込むな、クリスマスには、うちらに混ぜてやるさかい(笑)


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投稿者 hongkong : 2005年09月20日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その③

<はん>
わて、最近思う事があるんやけど・・・。畑違いやが、「罪を憎んで、人を憎まず」とは、よく言い当てたもんやと思うてな。
わて、最近人間の目の中に<哀しみの色=業の色>がある事に気がついてんねん。年齢を重ねた方には年齢に準じた沢山の<哀しみの色>が・・・怖いモン知らずのお若い方達の目の奥にも、攻撃の光の中に<哀しみの色>がある。わても含めて、人間なんて綺麗ごとでは生きてはいけん。正直モンやエエ人だけでは生きて行けんもんや。嘘や傲慢、無い方がおかしい。ストレートに認めたくない事やけど、それが無い方は仏も同然やからな。この複雑で、一色では表現出来ない不思議な色を、最近人の目の中に見る様になったんや。
業の深い方程、それを昇華した時、強い慈愛の心を持つ。他人に対し、過去自分が犯した罪や体験・・・そこから学んだ多くの事から、強く慈悲の気持ちを持っていろいろな対処が出来る様になるんや。只、そこにたどり着くまでの心の葛藤は生き地獄と同じやろうが、結果としてそれは素晴らしい事やねん。又、これを(慈愛を)受ける方もちゃっかりしたモンで、慈愛に満ちた優しさと、カテゴリーで分類されただけの優しさには、なぜか敏感に気がつくモンや。後者は、一時的な感謝こそすれ、心動かされる事はない。
又、一口に業と言っても、いろいろある・・・。例えば人間として許せない行為を犯した者の深い業でも、その人間が御仏の魂に近うなるチャンスをそこで頂いたと仮定すれば、それを与えた方の魂は、より開放され、且つ高尚に変化していくもんやと言いたいねん。そいじゃ「事件やった場合、被害者は損やないかい!」「加害者の見方か、おんどりゃ」とお叱りを受けそうやが、そうではなく、この現世の世の中で他人を御仏の魂に持って行く為の役割を頂いていたと仮定すればよろし。罪を犯すも人間、受けるも人間、そして神はんは、それを過去から未来まで、ずっと見ており全ての流れを熟知しておるんや。簡単に言えば、「業を積む人・受ける人、これ神が決めた現世での役割分担」ちゅーこっちゃ。
尚、罪は罪でも極悪非道のモンもあるが、それについてはどう解釈したらエエか・・・。やはり、その人間の業が昇華された時は、魂を浄化するチャンスを与えた方と言う事で、与えた方の御魂は、その貴重なお役目から、より高い魂のレベルを得、さらに高尚なる物に変化していかれるのだと考えておる。これ、完全なる魂の開放や。つまり、わてら人間のレベルでモノ考えれば、事件等の場合「全く損な役割・お役目」となる訳やが、これを霊的世界で考えれば、「尊いご指名を授かった魂であった」と考える事も出来ると言いたいのや。この様に、わてら人間と神はんの側からの解釈は、えらい違っておる事があるのやで。人間の尺度で神を分析するには、限りがある。又、解釈を間違う事がある。わてら、特殊な環境をご選択をされた方以外は、生活ベースを崩さんと「時空を司っておる神はんのお導きに、これ素直に従った方がエエ」のかもな・・・。流れはある程度決まっておるんや。
神はんは、何度も言うが「宇宙=大自然を含む」「時空」や。ホンマは、人間の姿はしとらへん。只、説明したり、神はんを大切に信仰したりする対象として、人間の姿を取っている・あえて取らせていたと考えればよろし。
話は戻るが、この「人を憎まず」と言うのは、言わずと知れた偶像崇拝・カトリックの教えなんで、仏教や神道とは解釈の課程では相当ズレがあると思う。ただなぁ・・・、特に神道の場合、神の解釈やその表現方法が、①仏教より、神が人間に近いモンに例えられている時代あり、②女神が唐の衣装を着ている等世俗的な表現をとられている点あり、③神像に関してはかなり極彩色豊かである点・・・(仏教では彩色無し)、又言わずと知れた④現人神の風習等を考えると、実は歴史の中で解釈されてきた神はん達は、妙に人間臭かったりする。又、神道は基本として、自然崇拝の他に、同時に「人神信仰」も持ち合わせている事やし、やはり途中の解釈は違っても、最終的に言わんとしておる事が似ておればそれはそれでエエとしてもいいっちゅー事やと思うで。信仰する宗教が違うからと言って、別物と決め付けたり、排他したりする事はあらへんと言う事や。
尚、人が人を裁いてはいかん。人は人の<哀しみの色>を見出し、導き・誘導してあげればいいのや。採決は、神はんのお役目や。わてら、自分の事ばかり考えているさかい、何時の頃か、この色が見えなくなってきた・気がつかなくなってきたんやと思う。遠い過去、多くの方が神はんの姿を見ていた・感じていた頃には、大きな犯罪や人災はおそらく無かったはずや。現世においては、各宗教団体・宗教関係者の教祖はんや指導者は、まずここに気がつくべきなんやと思うで。
げっぺいはん、神はんからの伝言、伝えたで。

<げっぺい>
よっしゃ。はんさん、神はんからの伝言、確かに受け取ったで。以下、うちの返信入れるよって、ちぃーっと待ってておくれな。この伝言は、いろいろな角度から分析したいんや。それと、はんさん・神はんに質問があるよって、考え少しまとめさせてーな。明日入れるよって。


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投稿者 hongkong : 2005年09月28日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その③・・・№2

<げっぺい>
げっぺいや。神の概念の返信入れるで。只、うちが先に入れると、このバナーのQ&Aの順番おかしくなってしまうけど、はんさん許したってな。
うちな、こんなん書くの気恥ずかしいんやけど、輪廻転生信じておるねん。うちら人間は、何度も何度も生まれ変わっておると、昔から思うておるん。前世で大きな罪を犯した人は、例えば現世で肉体的なハンディを背負ったり、精神的なハンディを背負ったりする。そやけど、その宿命をプラスに転換させて、現世を楽しんだり、又、ハンディを持った中から真実を見極めたりして魂を磨く修行をしておると思うておるねん。神はんは、うちら人間にいろいろな宿題を出される・・・。又、たとえ何のハンディ無く生を受けたとしても、必ず自分がおる環境の中で、もがき苦しむ様に出来ておる。うちら、何度も生まれ変わりながら、長い時を経て、自分の魂を神はんに近づける旅を続けておるねん。そやから、前のページで神はんからの伝言確かに受けたけど、生を受けた中で犯した罪を、その生の中で昇華出来るちゅー事は、ある意味神はんに近づくプロセスを早足で歩いておると考えてもエエのやろう。又、例えば、何か大きな罪を犯した後で生まれ変わった時、物凄いハンディを背負って輪廻転生したとする。但し、そこで得る体験は、体験ではなく悟りだったりする。そうすると、恵まれ過ぎていて悟りを得る事が出来なかった魂と比較すれば、ある意味幸せな転生だったりすると言う事になる。何がエエのか、どれがエエのかわっからへんが、苦しみの中から神はんに近づくプロセスが生まれてくるという事なんやろうな。
そやけど、何でうちら人間は、いろいろな事で苦しんだり・悩んだりするんやろう・・・。太古の昔、まだ人が人に対し罪と言うものを持たなかった時代は、どうやったんやろう・・・。もしかすると、その時代に生きた人々は、実は神はんに一番魂が近い人々やったのかもしれんな。天候の流れや自然の移り変わり、天変地異や、時が経つ事で変わっていく自分の肉体の変化・・・全ての変化や変革に対し、何の疑問も持たなかったんやろうな。全ての事象は神はんの手の内に存在し、その中で生きている事を信じて疑わなかったんやろう。うちら段々賢くなってきくたさかい、人を裁いたり、人を憎んだり、時に嫉妬したり、つまらん感情や欲を持つ生き物に成長してきたのかもしれへんな。ここらで神はんに淘汰されん様、うちら純粋な魂をそろそろ持つべきなんやろう・・・。
分かり易く表現するなら、「月曜日には、自分にとって、とても嫌な事が必ずある」と仮定する。そやけど、「その月曜日が来てしまえば、次の月曜日までは、実は一番時間がある」事に気がつけば、少々の困難や苦しみなんかで悩むのが馬鹿馬鹿しくなってくる。つまり、今、自分が死んでしまいたい程苦しかったり、辛かったり、それ故罪を犯したくなったとしたら、「実は今が月曜日で、次の月曜日までは長い時間を与えてもらっている」と考えればエエのやと思うで。例えがちぃーっとややっこしいかも知れへんが、つまらん感情に走りそうになったり、自分を否定したくなったりした時は、「今が月曜日!」と思えばいいんや。うち、何か嫌な事があると、必ずそう考える様にしちょる。
少し話がズレてしもうたが、例えばつまらん感情を抑えきれずに、結果として罪を犯してしまった場合は、「今が月曜日」と考えて再生すればいいんや。又、人間一人を心から再生させるきっかけを与えたお役目の魂はんは、おそらく「その時期において、神はんからのお使い」やったと考えればいいのかもしれん。神はんからのお使いやから、当然神はんには近い。輪廻転生した時に、素晴らしい条件を与えて頂けるのかもしれへんで。
言葉にすると、うちら極論語っておるみたいやが、やっぱこれら一理あると思うで。又、現世で縁ある人々は、過去世でも何らかのつながりがあったのではないかと言う考え方には賛成や。意外に似た人間関係の中で、何度も魂を磨く旅を続けているのかもしれないな。おもろいな。
はんさん、そやろ?



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投稿者 hongkong : 2005年09月29日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その④

<はん>
ここん所少し忙しうて、精霊はんときちんと向き合っておらんかった。わての住んでいる小さなマンションの一室には、真北の方角にいつも精霊はんが鎮座しておる。なぜ真北か説明しろと言われても、ちぃーっと困るんやが、なぜか真北なんやな。前にも書いたが、真北は<神聖・誕生・神秘>を意味する位置なんで、精霊はんが集まり易いのではないかと思うちょる。又、昨日久しぶりに家に戻ったんやが、日本家屋の場合、やはり精霊はんは床の間に鎮座しておるようや。神棚周辺に集まっている・もしくは集まり易いと言う例も知ってはおるが、やはり基本的に神聖な場を好まれる様や。又、香港大美園では店の奥・神棚のほぼ正面の位置対角線上に精霊はんが集まり易いが、まだ方位尺で正確に位置を測っておらんので、こちら真北ではないのかもしれへんな。飲食店やさかい特に神聖な場所は決まっておらへんので、精霊はんの様な存在も少し迷う所があるらしい。つまり、はっきり<神聖な場>と言うものが決まっておる場所には、精霊はんもスムーズに鎮座しやすい様や。尚、香港大美園のママはんは少々シャーマン気質やさかい、精霊はんを正確に呼べば、いつでも出現可能と、わては睨んでおる・笑。今は店が忙しいのと、リニューアルオープンの準備の為、いろいろお忙しそうやさかい、落ち着いてから精霊はんのお呼びたて方法を、わての知っている限りの知識を持ってご伝授致したいと思うちょるで。ママはんの精霊はんは、透明なコバルトブルーの光で、とても美しい・・・エキゾチックな感じのものや。精霊はんは、お呼びたてをすると、案外律儀に出現してくださる類のものなのや。
一説には、特定の方・選ばれた方にのみ出現と言う説が無きにしもあらずやが、わてはその理論、このバナーを持ってひっくり返させて頂く。神はんは、基本的に生あるものには平等なんや。只、神はんをお呼びたてするには<キーワード>があり、この<キーワード>の真の理解あってこそ、我々の前にそのお姿を波長が合えば随時見せてくださるものらしいで。わてが初めて精霊はんとお会いしたのが、昨年の十一月や。一年来のお付き合いをさせて頂いておるが、最近徐々にいろいろな事が分かってきたんや。
遠い昔、わてらの祖先が、日々自然の流れや自然現象と共に<無事に生きていける事に心から感謝している時代>、農耕中心で稲作信仰が根付いていた様な時代、おそらく祭政一致の頃より以前、わてらの祖先は、この精霊はんを肉眼で見、肌で感じ取っておった。それが、何代もの古代人の体験を通じ、例えばご神鏡や美術品(出土品も含む)として、現代的解釈が入ってはおるが、まずは正確に伝えられておるねん。わてら、現世に転生したもんは、神に近づく魂の修行をしているつもりでも、日々忙殺事項に追いまくられ、この生あるものとして一番基本的な部分になかなか気がつく事が出来ていない状態や。わてやげっぺいはん・その他有志はん達は縁あって現世で精霊はんの存在に偶然気がついたさかい、精霊はんが存在する意味を、可能な方法で媒介として徐々に伝えていけばいいのやと思うちょるで・・・。原初の自然神信仰こそ、最も古層で、且つ正確な神信仰なのではないかと思うておるねん。神学以前の他界観にこそ、神の概念の本質が含まれておるのではないやろか?
神々は時空を超越したものやさかい、人々の生活習慣によって、その形は変化自在や。只、基本は形無きものであり、光であり、時に人々の魂の中にも存在するものや。魂に反応して、光と言う姿でその存在を示してくださるものなのかもしれん。信仰する形態によって、神はいろいろな姿や理論で解釈されてはおるが(こちらについては、一切否定するつもりはないで。それぞれの魂の自由やさかい)、まずは、都合のエエ様に分類したり、特に面白半分にオカルティズムに走る事は、本来は失礼千万と考えていいのやろう。


<げっぺい>
うちは、雰囲気で精霊さんの様な存在を感じる事は出来るが、まだ確実ではあらへん。今は、そう積極的と言う気持ちではないのやが、そのうちデジカメでその存在を撮ってみようと思うちょるで。(うちの中では、わざわざ撮らんでもエエのでは?と言う、考え方がある)
さて、これはうちの意見やが、うちは<空間の中に共通の意識>が存在しており、それぞれの人や魂の波動が一致した時に、その<意識を拾う>ておるのではないかと思うとるねん。つまり、近くに存在する意識と意識が同じものになった時、自分の中にその意識が伝わってくると言う事や。例えば、○×語を話せる人がおったとする。隣には、その○×語を話せない・理解出来ない人がおったとする。これは、以前行われた実験やが、言葉を話せない・理解出来ない隣人が、その○×語を話せる事があるのや。どういう事かと言うと、実は意識は頭の中にあるだけではなく、空間にも浮遊しており、それをうちらが空間からキャッチしておるのではないかと言う実験や。催眠下状態で行った実験なんやけど、波長が合えばこれが可能であると言う事が結論付けられたんや。つまり、同じ様な意識下でつながっておれば、それは魂のつながりであり、前世からのつながりではないかと言う事やねん。又、その浮遊しておる意識体と信頼関係が強ければ、さらに思いは伝わりやすいのではないかと言う事や。
うちは、精霊はんは太古の昔より存在してはる神はんの一種であると思うちょるが、ある意味、空間に浮遊しておる「意識体」と仮定してもエエと思うちょるで。又、害をなすものではあらへんが、場合によっては淘汰もあると考えておる。
まだ、考えがしっかりまとまっておらんので中途半端やが、こないな感じを受けるねん。
どや、はんさん?


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投稿者 hongkong : 2005年10月04日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑤・・・ちょいと、お知らせや

<はん>
香港大美園のホームページの彩りとしての、こちらのバナーやが、本日五日より、集中的にお料理の打ち込み作業に入りますよって、二日ばかり更新は無しや。楽しみに待っていてくださるこちらのバナーのファンの皆様?、三日後にお会いしましょう・笑。
又、シャーマン気質やが、その可能性に、現在あまり気がついておらん・わてとこのママはんが撮った「飛行機の中から映し出された上空の精霊はん」、「中国の精霊はん」のお姿を、近いうちに皆様に公開する事になると思います。びっくりされない様、心の準備をお願いしますで。上海上空の精霊はんは、見事やで!わて、よくこんなん写真撮れたと、内心驚いておるねん。さらに、こちらのバナーに強力な助っ人が近々登場する予定になっておるんで、その節はどうぞ「はん&げっぺい」以上に宜しくお願い致します。わての見立てやが、かなり神はんに近しい家系にある人やで。どんなコメント入れてくるのか、わても楽しみにしているさかい、皆さんも楽しみに待っていてな。ほな、暫くの間、皆はん元気でな!謝謝。

尚、次回より「精霊はん」改め、この不思議な存在を「高次元意識体」と、位置付けさせて頂きます。親しみをこめお呼びする時は「精霊はん」やが、正式名称は「高次元意識体はん」や。長くて呼びにくいな・・・。この次までに、ニックネームでも考えときますさかい、併せて宜しく頼んます(爆)大感謝。


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投稿者 hongkong : 2005年10月05日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑥

<はん>
ここの所忙しくて、ゆっくり・じっくり、意思ある「高次元意識体はん」にお取り組み出来ないのが残念やが、日々向き合って過ごす事がでけると言うのは、ある意味幸せや。これは特別な人だけに起こりうる事ではなく、これを読んでいるほぼ全ての皆はんの所にも、意識体はんは存在しておる。只、その存在に気がつくか・つかないか、と言う、たったそれだけの事なんや。意識体はんは、わてらを、わてらが自分自身で選んでいるプログラム通りの方向に導いてくださる類のもので、只そこに存在しているだけのものではない様やで。
さて、前回紹介させて頂いたが、げっぺいはんの大学の同級生で「ろく君」と言う子がおる。彼は、わてらの貴重な日本人BFや。同時に、わてらの日本語の先生やさかい、今後このバナーに頻繁に登場する事になると思うが、皆はん、どうぞ宜しゅう頼むで。それでは、ろっくんから「神の概念」あてにメールが入っておるので、以下紹介させて頂く。


<ろく>
はんさん、げっぺいさん、お久しぶり!香港大美園のホームページ、とうとう立ち上がったんだね。中華料理店のホムペ・バナーで「神様特集」と言うのも不思議だけど、そこは中国四千年の「懐深ーい歴史」と言う事で、上手く盛り上がっていくといいね。
さて、「精霊さん」と言えば、はんさんと出会って、いろいろ体験しているうちに、僕の部屋にも住み着いてくださっている。又、「精霊さん」を意識する様になってから、昔の写真を見直してみたけれど、いろんな所で写っているので、元々僕の側にも、いらっしゃって下さっていたんだと思っている。だから、今は、僕も「精霊さん=高次元意識体さん」とは仲良しなんだ。
さてと、僕なりに、今までの「神の概念」についての感想を入れていくね。
まず、人の業=哀しみの色を人の瞳に感じると言う事・・・そして、その哀しみを昇華した時、人は慈愛の心を持つと言う事。僕も、その通りだと思うよ。僕達はいろいろな事を経験し、その中で傷ついたり・逆に学んだりして行く訳だけど、いつでも純粋で清らかな心を保てる人間でありたいよね。それは、とても難しい事だけど、僕達は神様にすごく試されているんだと思うんだ。神様って、割と意地悪で、いつも僕らを試している様な気がするよ。でも、それは魂を浄化させる為の試練なんだ。君達が言う通り、人はいろいろな哀しみを背負って生きているから、いろいろな過ちを犯してしまう。そんな人の哀しみ(=業)を理解し・許し・待つ事が出来る事こそ、実は僕達が存在する一つの意味なのかもしれない。「慈愛」・・・良い言葉だね。僕達こそ、神様に深い「慈愛」を持って守って頂いていると考えれば、僕達も人の過ちは許せるものなのさ。
君達が言う様に、太古の昔、僕達は確かに神様と繋がっていた。でも、いつの頃からか、自分達で神様を遠ざける様になってしまったんだ。その後の僕達は、まるで糸が切れた凧みたいで、魂の確固たる所在が無いんだ。糸をつなぐ先を探している・・・。
ところで、はんさん。「高次元意識体さん」の写真をアップする様だけど、注意事項として書いてもらいたい事が数点ある。まずは、「刺激が強い」ってね。それから、意識体さんは、「全ての人に平等」だってね。選ばれたとか、特別だとか、ご利益があるとか思わないで欲しいってね。僕の知っている人で、残念ながら勘違いをしてしまい、誤った方向に進んでいる人もいるけれど、特別な意味付けはしない方がいいんだ。いつか、僕達が頻繁に意識体さんと交信出来る様になったら、それは判る事なのさ。今は、単純に「嬉しいな・楽しいな」って、思っていればいいんだ。
最後に、意識体さんが頻繁に現れるのは、人生の転換期が多い様だ。しかも、「結果的に、良い変革が起きる時」が多い様な気がする。そして、今、僕もその変革を迎えている・・・。高次元意識体さんは、僕らが無意識のうちに選択した人生の台本の、ある方向性を間違えない様に、導いて下さっている存在なんだよ。


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投稿者 hongkong : 2005年10月09日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑥・・・「げっぺい」から「ろく」に返信

<げっぺい>
ろくさん、久しぶりやな。学部が違うと、なかなか会いそうで会われへんなぁ。
実は、ろくさんから教えてもらった、この「大阪弁」、なかなか気に入っているねん。どや?かなり進歩したやろ?勿論、うちら標準的な日本語を学ぶ事が何より先決なんやが、どういう訳か、この「大阪弁」が気に入っているねん。完全にマスターしたら、今度は「東北弁」と言うのを教えてくだはれや。うちら、日本の方の言葉には、とても興味があるねん。但し、中国は、言語は四百以上やで。数では、勝っておるみたいやな(笑)
さて、うちからは、高次元意識体はんについて、ろくさんにお返事や。
はんさんがしつこく言うには、うちの所にも「高次元意識体」はんは、絶対おると言うねん。はんさん曰く、それを「げっぺい'ズ」言うちょるがな(笑)つまり、ろくさんも、はんさんと同じ考え方なんやなぁ・・・。殆どの人に、高次元意識体はんがついていて、守って、導いて下さっていると言う考え方やろ?それを聞いて、実は、うち嬉しかったんよ。ホンマは、自分でも「いてくれてはる」と思うちょったんやが、積極的にカメラで捉えた事はあらへんので、どんなものなんかなって考えておった。こう見えても、うち、高尚なもんや崇高な存在は、実は大切にしたいと思う方やねん。そやから、やたらその存在を追い求めるのは、姿勢として、どないなもんやろと思うちょった。でも、挨拶代わりに毎日写しておったら、親密度は、皆の様に増してくるのかもしれへんな。今度、面白半分や興味本位と言う気持ちではない時、意識体はんに「心からお会いしたい」と感じた時に、デジカメを使って写してみようと思う。
只なぁ、うちも、今までろくさんの様に、特に意識せず、意識体はんのお姿は撮った事があるねんよ。京都の神社と、島根の山の中やったわ。つまり、不思議な存在や説明の出来へんものを、確実に映し出す力と言うのは、その存在を特に感じていない時でも充分可能と言う事なんや。うちらは、誰でも、高次元意識体はんの様な存在を、感じたり、又はカメラと言う手段を使って捉える能力を持っておると言う事やな。本物の霊能者は確かに存在しておると思うちょるけど、不思議な存在と交信可能やからと言って、自分は特別と思う考え方は危険やねん。感じたり、映し出したり出来る事は、それは素敵な事やし、ロマンやけど、単に自意識を肥大させる為の結果やとしたら、それは高次元意識体はんは願ってはおらんと思うで。うちらは、誰でも交信可能と言う事を頭に置いて、純粋な気持ちで接していけばエエのや。
ろくさんが言うてはる通り、「嬉しいな・楽しいな」って感じたり、「導いてくれてはる」と思うたり、「何かを知らせてくれてはる」と有難く、素直にそのお知らせを受信すればエエのんや。うちが思うに、映し出したり、感じ取ったり出来る事に気がついて、誰でも神はんに近づく気持ちを持てる事が、実は一番大切な事やと思うてるねん。又、はんさんも言うておるが、それが「人生の転換期」を強く意味しておるとしたら、そのお知らせを有難く受信して、今の自分が何をしたいのか、今後どの様な人生を切望しておるのか、ゆっくり考えたらエエのや。心に付いておる汚れや迷いや、又は鎧の様なもんを、自分の力で意識的に取り払い、一度「素」に戻り、まずは素直な気持ちを持って、今後の人生や生き方について考えてみたらエエと思うで。
写せる・・・只それだけに意識が集中してしまったとしたら、それは目的を履き違えていると言う事や。「嬉しいな・楽しいな」と思いながら、実は、不思議な存在が、うちらが全うすべき道を探求するきっかけを与えてくだはっておると言う事に気がつけばエエのんや。結果として、オカルティズムに走るのではなく、交信出来る事をきっかけに、そこで大きく人生を変えるチャンスに出会えた、もしくはその時期が来たと思えばエエのんや。
なぁ、ろくはん、そうやろ?

                      


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投稿者 hongkong : 2005年10月11日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑦

時期的に、めっちゃ忙しいで・・・。但し、今回より、超常現象について深く入ってみたいと思っておるんで、興味あるお客様、COMING SOON!体験を交えながら、冷静に、客観的に、この問題を考えてみたいと思うておるねんや。


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投稿者 hongkong : 2005年10月14日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑦・・・「ろく」から「げっぺい」に返信

<ろく>
僕達は、この肉体に宿る前のずっと以前から、多分知っている。
意識体として、どの位の時間を過ごしていたのか
それは、はっきりわからないけれど・・・。
今、今世で、君達に再び再会できた事が嬉しいんだ。
それが、自分で選んだプログラムだとしても
僕達の出会いは必然だから
一緒に魂を磨く旅を続けたいんだ。
勿論、付き合ってくれるよね!

懐かしい感じがする・・・
暖かい感じがするんだ。
封印されていた記憶が、徐々に甦ってくる。

前世の記憶、君達は持っているかい?

今、僕達、未来が見えなくて不安で一杯だけれど、
そうだ、一緒に何かをしよう!
それは、僕が仕組んだプログラムかもしれないし、
君達が元々組んでいたプログラムかもしれない。
どっちでもいい事なのさ。
再会する為に、生まれてきたんだ。

だから、終わりのないタイムマシーンに乗って、
こうして、何度も何度も、魂の仲間達と旅を続けるんだ。
来世でも再び会う事が出来る様に、僕達タイムカプセル作っておこうよ。
誰かがそれだけを記憶していて
今度再会した時にそれを開けるんだ。

僕は、自分と拘わりを持つ人全てを愛するという、とても難しい課題を与えられた。
今、不器用な僕は、自分の事で精一杯で、
そして、何度も失敗ばかり繰り返してきた。
乗り越えていくよ。勇気を持ってね。

心の涙を何度流した事だろう・・・。
臆病な僕には、そろそろお別れを告げる時期に入ったのさ。
僕は、未来だけを見て、これから進んでいく。
だから、君達にも知ってもらいたい。
その涙の意味をね。

冗談半分で教えた大阪弁が板について、なんか可愛らしいね・笑。
ところで、はんさんが言う様に、僕も【げっぺい’ズ】いると思うよ。只、げっぺいさんが言う通り、面白半分にその形態を追い求めるのはいけない事かもしれないね。少し、反省している。アプローチは、神様の方からしてくるものなのさ。とりあえず「今は神はんに近づく気持ちを持つ事が大切」と言う意見に賛成。近いうちに、はんさんとげっぺいさんの家に遊びに行くつもりでいるので、その時三人で写真を撮ってみようか?意識体さんは、沢山集まってくれるよ。だって、本物の意識体さんは、【楽しい場所や、嬉しい気持ち】が大好きだからさ。そうでない意識体さんは、その形状を変えながら<警告>を発する事がある・・・。
さて、最近の傾向として、意識体さんをカテゴリーで分類したがる風潮があるけど、僕は、元々【気持ちのいい空間に浮遊する、平等な存在】だと思っているので、この辺りの分析は、はんさんにお任せするよ。
それじゃ、再会楽しみにしています。


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投稿者 hongkong : 2005年10月20日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑧

<はん>
わてらが生活しておる次元とは別に、実は(幾重にも)重なった同次元も存在しておる。それは、俗に言う四次元なのかもしれんが、わての感覚では「三次元の中に重なって存在している、限りなく三次元に近い次元」と言う説や。一応、根拠がある。徐々にアップしていくつもりやが、わてらの住む世界に大変近い、同じ様な別の世界が、【同時進行で空間に存在しておる可能性】を、ここでは指摘したいのや。例えば「幽体離脱」。わては残念ながらこちらに関しては経験あらへんのやが、魂の離脱と言うより、これも一種の「波動の一致による、重なった同次元への空間移動(但し、離脱後の肉体が動いている場合のみ)」とも考えられるし、「もう一人の自分を見るという奇跡」が、古来より頻繁に起こっておると言う現実を考えると、やはり「重なる次元の存在」は否めない。わては、離脱や、生きている自分に会った経験はないのやが、空間の中に存在する「限りなく三次元に近い空間の中で、人間の様な生活感覚を持つ方々の、生活の音や人の様な呼吸・歌声やお喋り」を何度も聞いておる。感覚でモノ言って申し訳ないが、それは、とてもわてらと近いねん。これを「魂(又は概念)と物質の世界の違い」と仮定してもエエのやが、妙に生活感を感じ、自然にそれを捉える事が出来、それが又感覚としてしっくりくる所をみると、少なくとも、「オカルト」だの「観念論」だけで片付けるには惜しい感じがするな。人によっては、それを「神の次元」と表現したり、あるいは、「異生物体の次元」と仮定される方もおる様やが、その辺りは個人の見解の自由や。
・・・が、実際の所「神の次元」と言うのは、全ての次元を含めての壮大な奥行きある次元だと、わては考えておる。つまり、ここで言う「重なって存在する次元」に関しては、まだまだ「神の次元(領域)」ではないねんや。
常識は、あまり通用せえへん・・・。
例えば、このバナーの基準となっておる意識体はんに関しては、わてははっきり言って「神はん」と言うより、「神はんとわてらの間を行き来するネットワーク・・・衛星」の様な存在でもあると仮定しておる。学者はんが唱えておる「中間生」と言う表現でもエエのやが、意識体はんの存在しておる次元は、時に三次元であり、二次元であり、又、一次元であったりするからや。意識体はんは、「物理的な法則」が一切当てはまらない存在や。ある時は、奥行きのある深い光であり、ある時は全て平面であったり、又、ある時は点・・・一瞬にして消えると言う事は、瞬時に「点」=分子の状態に戻っておるのではないかと仮定しておる。勿論、次元の移動・空間の中での高速移動もあるのやろが、時に物質から、意識体はんはその姿を現す事がある・・・・・。空間の中を自在に移動し、物質を擦り抜ける特異な存在が、意識体はんなのや。又、意識体はんの動きには特徴がある。ゆっくりとその姿を重ねながら斜め上に円を描く様に移動したり、一瞬にして何メートルも離れた場所に現れたり、くるくる回転したりと、とにかくわてらの感覚では理解不能な動き方をされる。引力等、全く関係あらへんのや。初めて、その姿を現実に目の当たりにした時は、考え込んでおる暇もなかった程やで。又、今の所、意識体はんを肉眼で見ると言う事に関しては、特殊な能力を持った方のみと言う考え方ではなく、「ほぼ全ての人が、肉眼で見る事が可能である」と感じておる。「とある場所」で、その場に来た方の多くが(ここでは六十パーセント以上と、はっきり書かせて頂く)、意識体はんを肉眼で捉える事が出来たからや。霊感だの超能力等、その時・その期間はあまり関係なかったのが、かなり印象深いな・・・。又、これは推測となるが、意識体はんの存在しておる空間は、「光」と「音」が主体となっておる世界の様や。これにも、れっきとした根拠がある。意識体はんは、「光」でその存在を示し、「音」で交信やアプローチしてくださるが、わてらの次元の「ある特殊な音」に、すぐに反応をしてくれはる。それは、日本古来から大切にされておる「音」や「音のある伝統儀式」でもあり、例えばバリ島やインドを始め、アジア各国・アフリカ・西洋に至るまで・・・勿論我が国中国も含め、その「音」は神との交信手段に使われておる。「ある特定の音」を、各地・各宗教でここまで重視しておる事を、正直興味深く感じておるのや。
おそらく、高次元意識体はんに関しては、【宗教の違い・神の解釈の違いは、殆どあてはまらん】のやと思う。
又、その音を出す道具の形態もそれなりに類似性があり、宗教も神の解釈も違うのに、どういう訳か「ある音」に関しては、高い確率で共通性があるのや。この「世界各国、共通しておる高次元意識体はん・もしくは神はんとのアプローチに使用する音」に反応し、意識体はんが空間や物質から、突如として出現される所が、おもろくもあり、不可思議な部分なのや。
話がそれて申し訳ないが、例えば、イースター島等の遺跡に関しては、宇宙人はんとの交信の為と言う説もあるが、わては広い意味で、空間の・・・特に高い位置に存在(浮遊)しておる意識体はんを、古代の人々は別の形で捉え(五感や感覚も含め)、敬意を表して建造物として残しおるのではないかとも解釈しておる。いずれにせよ、「不思議な遺跡」と考えられておるものは、古代人の宇宙人対策と単純に仮説を立てるには早過ぎるで。宙を自在に移動し、もしくは特定の場所(神聖とされる場所)に存在する意識体はんに対する、一種フレンドリーな感覚で作られたものも、それら公共の建造物の中に含まれておると思うとるねん。「ある特定の音色」が出す波動に反応しやすい、「光や音を主体とした世界に存在する交信可能な存在、もしくは人間に近い感覚・感性を持つ類似次元に属す存在がおる」と言う事を、古代の人々は知っておったのではないやろかな?但し、我々が生あって移動可能な世界は、「三次元に重なる、三次元に近い次元」であり、それは神はんの次元(領域)ではなく、高次元意識体はんが存在しておる次元との、まさに中間の次元と、わては推定しておる。
とっかかりの為、少し、内容にまとまりがないが、どない思う?げっぺいはん?

追伸・・・
高次元意識体はんは、特にデジカメで撮影しやすい。但し、使い捨てカメラや携帯の写メールでも、その姿を正確に捉える事が出来る。よく言われておる、デジカメ特有の現象ではないのや。又、わてが一番おもろいと感じておるのは、その場所に「鏡」がある場合、鏡にその姿がそのまま反映される事やろうか。併せて、窓ガラスにも正確な位置で映ると言う現実は、決して機械特有の現象ではなく、実際そこに存在しておる事が意味される。超常現象を真っ向から否定をされる方は、この現実に対しては、おそらく声も出ない事やろう・・・。高次元意識体はんを、物理学をもって否定する事は不可能なのや。どの様な高名な科学者であっても、否定は無理や。わてらは、わてらの存在しておる空間は認めるが、そうでない空間や現象に対しては、元々懐疑的や。・・・・が、よく考えてみなはれ。わてらの存在しておる物質の空間こそが、実は幻や夢や白昼夢である事もあるのやで。超常現象は、真摯に受け止めなければいかんのや。


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投稿者 hongkong : 2005年10月25日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑨

<げっぺい>
げっぺいや。
神の概念・その⑧で、はんさんが指摘しておる「隣の世界(重なる次元に存在する、類似次元)」について、うち以前本で読んだ事があるんやが、それは【並行世界】の事やないかと思うで。うちらが住んでおるこの世界と重なる様に、実は別の世界が存在しておると言う説や。但し、一致しない位相空間ゆえ、お互い認識はしておらん。確か、その様な事が書いてある本やった。はんさんは、現実問題として、この【並行世界】を認識しておると言う事になると、それは正直興味深いが、入れば入る程に大変な事でもあるな・・・。【並行世界】を認識していない方は、自分の存在しておる世界の中で勉強したり、努力して魂を高めておればエエのやが、別の世界の存在に気がついたと言う事は、思考の深まりはあっても、考えなくてもエエ様な事まで考え、知らなくてもエエ様な事を知ってしまうのかもしれへんで。それは、なかなか難儀な事や。本来は、興味半分に突っ込まん方がエエ世界や。この辺りを、うちは心配しておる。
話変わって、うちらの言う高次元意識体はんについて、新情報を仕入れた。うちら中国人同胞・張  さんと言う中華特医の方が、生命体とコンタクトを取り、実際に情報交換しておるらしいで。その方の説によると、日本の某学者はんが説く「中間生(生まれ変わるまでの魂を含めた、肉体を持たない意識体)」とは切り離して考え、【高級生命体】と言う位置付けをとっておるようや。それが、うちらの言う所の高次元意識体はんと一致するのかどうかは、もう少し、慎重に考えなあかんな。只、はんさんが言っておる様に、コンタクトを取る方法があるらしいのや。ここは、かなり共通しておる。張はんは、高級生命体とコンタクト取りながら、治療を行っておるお医者さんなんや。
何や、今回は実体験と言うより、情報でまとまってしまったが、体験こそが大切とうちは思っておるで。そやから、はんさんの言う様に「超常現象を真摯に受けとめる事は、基本」やと思うとる。否定論者は、結果として損なのかもしれんな。うちが思うに、「魂を深めるきっかけ」を、自ら放棄しておると言う事にもなる。何事においても、結論は一つだけではなく、又、その結論と言うのも、うちらの世界の中で、うちらの都合のエエ様に解釈されたモンも多いと思うておるで。多くの世界を知る事で、又、多くの世界と接触する事で、考え方は勿論、生き方が変わってくる。大きく、自分が変化していくのや。うちら人間やさかい、霞食って生きては行けんから、この物質世界での現世利益には、どうしても執着してしまう。それが、又人間なのやが、自分が存在しておる世界で、自分の位置・生活基盤を大切にしながら、魂を深めていくきっかけを、例えば「並行世界」や「高次元意識体はん=高級生命体」から得る事が出来れば、それは価値ある生き方やと思うで。
うちは、元々楽天的でロマンチストやさかい、ちいっーと詰めが甘いかもしれんが、それも又エエ事やないか・・・。はんさんは、少々クールな部分があるさかい、ここの所が<真逆のコンビ>っちゅー事で、これからもいろいろな考え方で話あおうな。な、はんさんや!


貴方が存在している意味は、なんでしょうか?
愛する家族の為、愛する人の為、最も愛する自分の為に
この世での、ちょっとした出来事や価値観に幸せを感じながら
無事、生を全うする事だけなのでしょうか?

「別の次元が存在する?馬鹿な話さ・・・」
貴方は、自信を持って、こう否定できますか?
いわゆる、現実逃避で【並行世界】の存在を主張する位なら、
自分が現在存在する空間の中で
問題など起こさず
大人しく、真面目に、地道に生きて
敵を作らず
ずるさやいやらしさや欲望を抑え
時々秘密等を持ったりしながら
誰もが認めるイイ人のふりでもして
「あの人は、本当に出来た人でした」と言われ、肉体の消滅を待つのも「一つの生き方」です。
否定等、致しません。

只、私が知って欲しい事は
私達が存在する<目に見える物質世界>の他にも、
意識の世界・神の領域
そして、似たような感覚を持つ方達が存在する世界もあると言う事実。
それこそが、否定出来ない現実なのです。

特に、あえて別次元を体験せずとも、
これら空間の存在価値を
貴方が素直に認められる様になった時
なぜ、私達が生きているのか(生かされているのか)
私達が、本当に必要だと思っている事は、はたして何だったのか
その意味を知る<きっかけ>を得る事になるでしょう。

突き詰めて考えれば、
なぜ地球が、世界が、例えば日本がここに存在しているのか
なぜ水がそこにあるのか、海があるのか、山があるのか
時に、なぜ自然は、私達にとって脅威であるのか・・・
なぜ貴方には家族がいて、愛する人がいて
そして、ある時期、最も自分だけが大切であったのか
そんな事まで、分かってしまう日がくるでしょう。

生かされている、本当の意味は
ある日突然気がつくものなのです。

全ては、神の手の内に・・・。
しかし、それは自分で元々選択していた歩み方でもあり
貴方が、昔削除してしまった記憶に残っていない生き方より、
何十倍も充実した人生を
貴方は、自分で選択した肉体と環境の中で
確実に摑んでいかれる事でしょう。


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投稿者 hongkong : 2005年10月26日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑩

<はん>
日本の皆はん、お家に神棚置いてまっか?近頃はマンションも多いさかい、なかなかインテリア的にも合わんお宅が多いかと思いますが、【神棚は置くべき】です。実は、わて今まで頂き物の神棚を使っておりましたが、この度、初めて自分で働いて頂いたお金で、三ヶ月前より目を付けていた三社神棚購入しました。びっくりです・・・・・。どう、びっくりしたかご説明するのには、少々気持ちの整理がいりますので、この週末明けにでも、よーーーーく考えて、アップしていきたいと思っております。昔は神棚の無いお家は、お札を半紙の上に貼って、高い位置に置き、水と共に祭っていたそうです。それはそれで心がこもっておるので、エエ事やと考えておりましたが、かなり考え方が変わりました。日本の皆はん、信じる・信じないは別として、取り合えず【家には神棚を置き】、日々無事に過ごせる事のありがたさを、素直な気持ちで祈ってみましょう!特に、床の間の無いマンションやアパートにお住まいの皆はん、まずは、騙されたと思って・・・(笑)意識レベルを変える事が、少々極論ですが、私達が住んでいる土地や自然現象に密接につながって参ります。まわりくどい書き方で申し訳ありまへんが、実はそういうモンでした。やっと、気がつきました・・・。

では、週明けにこのバナーにCOMING SOON!神棚の重要性について、アップし直します。大感謝。


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投稿者 hongkong : 2005年10月30日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・コーヒーブレイク

高次元意識体はんは、元々は「神聖な場所」を好んで宿るモンやが、例えば、「賑やかな場所」や「エエ気に溢れた場所」「楽しい雰囲気」も、お好きや。今回、店にテレビの撮影が入ったが、タレント「ダイノジ」はんのお人柄や、スタッフの皆はんの和気あいあいとした雰囲気に、意識体はんも、バッチリ波動があった様やで。記念撮影を、次々撮らせて頂いたが(ずーずーしくて、すんまへん・・・)、ほぼ全てに意識体はんのお姿を捉える事がでけた。ホンマ、不思議な存在やけど、「楽しい雰囲気」がお好きなんやなーと、<実感>したわ。
これから、忘新年会や宴会の本格的なシーズンに入るが、盛りあがっとる皆はんのお側にも、ふらりと遊びに来てくだはるで。楽しみやなー。
ホンコンガーデンホームページ用写真 027.jpg
<お店に遊びにくる、高次元意識体はん>

*こちらの写真は、タレント(ダイノジ・大谷)さんの許可を得てアップしたものです*


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投稿者 hongkong : 2005年11月04日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑩・・・其の2

<はん>
あっと言う間に11月に入り、早々とクリスマスグッズが並ぶ季節に入りました。クリスマスグッズはかわゆいモンが多いさかい、見てると、どれもこれも欲しくなるモンばかりや・・・。ちょっと前までは、ハロウィングッズが並んでおったが、さすがに日本のお店は切り替えが早いな(笑)商魂たくましいととるべきか、季節を感じられて楽しいととるべきか(笑)わては、素直に楽しいととらせて頂きますが、そろばん勘定されていらっしゃる企業のおエライはんは、「受ける側に、常に夢を与えておる」ちゅー事を忘れずにいて欲しいもんや。さーて、のんびりしちょる香港大美園も、この辺りは、ちぃーっと見習わんとあかんようやな。夢を大切にしちょる。でもな、フランチャイズやチェーン店全盛の時代に、結構貴重なお店なのやで。季節の変わり目・・・、皆はんも体調崩さんと元気で頑張ってや。

前回、少しばかり「前振り」アップしたんやけど、今回は<神棚>の重要性を、皆はんにも知ってもらいたいと思うちょる。まず、結論からいくと、「神棚は置くべき」や。これは、なぜかと言うと、「神はんは、特定の人についているもの」と言う考え方ではなく、「まずは、平等」が基本やが、空間に存在しちょる神はんの「拠り所」を作るとエエと言う考え方や。尚、存在する場所は、神聖とされる場所、もしくは、神聖とされる場所に「拠り付きやすい」のやが、それに捉われずに「家を守って頂く」と言う、家内安全と言う面からも、まずは置くべきと考えてエエと思う。その際、家族が集まり易い場所を選び、南か東に向けて置くと言う一般説には、賛成。これには、わて的に根拠がある。長くなるので、ここでは割愛させて頂くが、定説は、いつの世でも正しいのや。但し、神棚の下を人が頻繁に通る場所はやはり望ましくなく、併せて神棚の上を人が頻繁に通る場所も望ましいとは言えない。とは言っても、高層住宅やアパートの場合は、物理的に限界があるので、この部分については「その方が、望ましい」とするとかないねんな。神はんを敬う気持ちは重要やが、まずは「現世第一主義」が、わてら人間の役割や。神はんの方から見れば、わてらのおる空間こそ、仮想空間であるのかも知れないが、「生きる=魂の修行」と仮定するのなら、わてらは何より現世を優先すべきやと思う。例えば、精神世界にのめりこんで新興宗教に走ってしまったり、浮世離れしてしまっては、本末転倒やさかいな。話が飛んでしまったが、まずは「現世の生活優先」ちゅー事で、生活に支障の無い無理のない位置を選び、神棚を置いて、神はんを敬う気持ちを持つ事をお薦め致しますで。一言で言えば、神はんとの<無理ない共存共栄>や。
さーて、「神棚」を本格的に設置したら、今まで真北にしか存在しなかった神はん(高次元意識体はん)は、部屋の中を自由に飛び回る様になった。写真のアップについては、今しばらく考えるが、これ本当の話やで。写真に撮ると、意識体はんは白い光や金色の光、又、金色に近い中華モードの光で映ってくださるが、肉眼では薄い白い光、ファインダーを通すと赤い光で見えるのが特徴や。移動のスピードは速く、飛び方は、物理学の常識には当てはまらない。上から下へ、下から上へ、斜めに、横に、自由に移動する。但し、かなりの高速移動やで。
わて、あまり超常現象を強調する気はなくて、皆はんにここで何を訴えたいかと言うと、<高次元意識体はん>は、まず確かに存在しておると言う事を強調したいのや。又、それは神棚を正式に設置する事で、体験でけると言う事。さらには、この様な存在に気がつき、それを敬う気持ちを持つ事で、わてらの意識が確実に変わると言う事や。意識が変わると、それは良質の(あくまでも潜在的やが)パワーに変化する。同時に、各自の意識レベルが高次元に近づく。意識レベルを上げると、いろいろな事が冷静に見えてくる。又、皆はんの意識が変わってくると、上手く説明がでけんが、連鎖した強い力が生まれる。それが、特に、この日本と言う地においては、天変地異や災害、土地の<気>に直接結びついてくるモンやという事に気がついたのや。以前、「意識レベルの低下が、自然災害に結びつく」と、とある高名な方がおっしゃっていたもんを読んだのやが、確かにそれは一理ある。「祈り」のパワー・敬虔な心は、時に<人間界から見た奇跡>を生み出すのや。つまり、神はんに対して、自分の為だけに祈るのではなく、自分が今無事に存在しておる事に感謝の気持ちをもって祈る事が重要。それは、その土地の人々の運気や士気を高めると共に、土地の災害からわてらを守ってくださる不思議な力に変化するものなのや。<今日も、無事生を全うでけた>、これを是非不思議な存在である意識体はんや神はんに感謝するべきやで。あくまでも、自分だけの為ではなく・・・。
抽象的な書き方で申し訳あらへが、とどのつまり、その地の人々の意識が変わる事によって、土地の運気が上がる事に、はよ皆はん気がついてやー!
又、わてがなぜ、これをしつこく主張するかと言うと、はっきり書かせて頂くが、神棚から物を動かす力が出ている事に気がついたからや。自然界・・・特に植物は、それをキャッチする力があるが、中でも、やはり「榊」は、その力が強い。高次元意識体はんは、わてらと自然界を司る神はん(宇宙)との衛星的存在やが、「榊」を含め自然界の植物は、まともに神はんの波動を受ける力がもともとあるのや。いわゆる<アンテナ>や。つまりは、わてらの意識の変化・受ける神はん側から出てくる波動・それをアンテナとして受ける植物が持つ力と言う三者関係を考えてみると、結論として「自然界の気を高めるも、そうでないのも、実はそこに存在しておる人の心や意識次第」と言う事なる。これをたわごとととるか、又は一理あるととるかは、個人の自由やが、いずれ、これは定説となっていく事やろう。なぜかって?紛れも無い、事実だからや。

私達を、お試しになる為に
試練とその存在を与えられたのか。
目に見えないとされる力は
実は目に見えるものだ。
自然界は
それをダイレクトに感じ取るアンテナ・・・
例えば
古来より境界と言い伝えられている「榊」は、それを受ける最も強い力を持つ。

意識レベルをあげていこう・・・

それは、自然界を動かす大きな力となって、
直接私達に反映される。

意識レベルをあげていこう・・・

苦しみより、なにより喜びが増していく。


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投稿者 hongkong : 2005年11月06日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑪・・・「げっぺいから、はんさんへ返信」

<げっぺい>
なるほどな・・・神棚の意義についての講釈としては、おもろいわ。
実は、うちも神棚はきちんと祭ってあるのや。特に、大げさなモンやないけどな。神道や教派神道気取る訳でもないし、あまりそちら系に興味がある訳でもない。何と言うか、一言で言えば「親近感」を持っているって言った方が正確かもしれんな。うち、日本の神はん、何となく好きやねん。小難しい理屈は、あまり無いねんや。そやけど、毎日神はんには、感謝の言葉を申し上げておるで。「今日も無事過ごせました。ありがとうございます」とか「明日も、又、良い一日であります様に」とかな。通り一遍やけど、それが大切な事やと思うちょる。はんさんが言う様に、そこに存在する人々の気持ちが、土地の士気や運気、大きい意味で地球そのものに影響があるとしたら、そりゃあり難い事や。そうである事を、うちも信じておるで。
ところで、うちの所の神はんは、特にその存在をアピールする事は無いのやけど、そのうち、うちの熱い思いが伝わって、<お返事>なんかしてくれはったらエエなぁと思う・・・(笑)はんさんの所は、その存在を確認出来る様なので、一人でおっても寂しい事あらへんやろ?こないな事書いてエエのかどうか分からんけど、神はんと同居しちょる様なモンで、彼氏思えば、毎日楽しいかもしれんな!少々罰当たり?発言やが、神はんには、その位親近感持ってエエと思うのや。怖れ敬う気持ちは勿論必要やが、もっとフレンドリーでもエエのんちゃうか?日本流に言うなら、天照大御神はんによって全ての万物が創造されたとしても、結局うちら神はんの血を引いておる事になるからな。大切な事は、一体感なのやろな。そない思うで。宗教団体の教祖はんがこれ読んだら、うちら大目玉食うかもしれんがな(爆笑)


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投稿者 hongkong : 2005年11月24日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑫

<はん>
ふぅぅー・・・。師走に入り、さすがのわても忙しうなった。ホムペの更新も遅れ、なんや悪うて悪うて、「ごめんなさい」の気分やで。メニュー表の写真はかなり撮影されておるので、後は画面に入れるだけなのやが、なかなかそのまとまった時間が取れない状況や・・・。お世話になっちょるガーデンの皆はん、甲斐性無しのはんさんでごめんな。その分、張り切って働くさかい、大目にみておくれでないかいな。今日も明日も、仰山お客はんが入っちょるんで、またまた更新が遅うなるかもしれんな・・・。許したってな!

さーて、先日、ひょんな事から「神社の鈴」を手に入れる事がでけた。これをラッキーと言わずして、一体何をラッキーと言うのやろか(笑)なになに、「神社の鈴って、何のことや?」かいな。ほれほれ、あれやアレ。賽銭箱の上で、参拝のお客様に「ガラガラ」鳴らされるアレやがな。どてかい神社の坪鈴やさかい、近くで見ると凄い迫力やで!今、わての部屋に、堂々鎮座しておるのや。うーん・・・素晴らしい。何度見ても惚れ惚れするとは、この事やな。わてにとっては、今年最高の収穫物やで。
現在、わてはお社二体祭っておるので、いっそ天井から組紐買うてぶら下げようかとも思ったのやが、それでは「ヘンな人」になってしまうさかい、棚を整理して、座布団をひいて、その上に座って頂いておるで。鈴殿も、気のせいかもしれんが、お尻が暖かそうや。試しに、両手で持って鳴らしてみたが、「ガラガラ」言うあの独特の音色が聞けて、もう止められまへんわ。すっかり癖になり、しょっちゅう「ガラガラ」させておるのや(爆)
ところで、気になる高次元意識体はんの反応はと言うと・・・やはり、お喜びの様子。しめ縄・神棚・鈴殿周辺に、いつもその存在を示してくれる様になった。ありがたいこっちゃ。来週には、げっぺいはんから「特大真榊」が送られてくる予定なので、わてもそれに併せ「特大祭壇」を設ける事にした。なかなか本格的になってきたわー。知らん友人が遊びに来たら、新興宗教部屋と間違えられそうやが、そうではないねん。神はんは、きちんとお祭りして、感謝する事に意義があるのや。但し、わざわざ・あえて感謝する事もなくて、自分で「その様な気持ちになった時」すればエエ事なのやん。

神はんは、確かに存在しちょる・・・。

今、これを見て「ヘンな事言うやっちゃ」と、わて、思われておるかもしれんが、いずれ皆はんも気がつく時がくるで・・・。その時、このバナーに書いてある、多くの意味を理解する事がでけると思う。
わては、この鈴を大切にしたい・・・。神社にお参りに来た、沢山の人々の希望や願いがこもっておる鈴や。わての部屋に来てくれて、ありがとうな!


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投稿者 hongkong : 2005年12月09日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑬

<げっぺいから、はんさんへ返信>

メリー・クリスマス!

お久しぶりやな。最近、お互い多忙につき?電話とメール連絡ばかりやが、元気にしちょる?うちは、今、彼氏の実家がある福井にきちょる。こちら、ごっつう雪が多くて、驚きやで。同じ日本なのに、エライ気候が違うモンやな。考えてみれば、日本列島って、斜めに長ーい形やったな。つーまーりー、今、うちは、ホワイトクリスマスや!エエやろ。羨ましいか?
さてさて、うちがクリスマスプレゼントに送った「特大真榊」を気に入ってくれた様で、嬉しいで。はんさんが「真榊・真榊」言うんで、いろいろ探したんやが、日本の神具が意外に値が張るモンと知って、ちぃーっと驚いちょる。・・・が、約束したからには、うちも「おなご」や。ちゃんと、約束守ったでー。
おっと、一足早く、はんさんがうちに送ってくれた「レアもんのタロット」、こちらは正直気に入った!ありがとな。さすが、本格的なタロットは、図柄が違うな。原素記号や「ラーの目」が見事に描かれておる。上手く使いこなすには時間かかる代物やが、待っててな。使いこなしてみせるで!今、うちの持っているカードはライダー版やが、送ってくれたカードは、ライダー版やマルセイユ版の元祖っちゅー感じのカードや。どちらかと言うと、コレクター向きかもしれんが、シックスセンスを上手く引き出してくれそうな代物や。やはり、タロットは、ここが一番重要やな。はんさんも、現在ライダー止まり言う事なんで、余裕が出来たら、是非マルセイユを超えて、「ラーの目」カードを使いこなしてちょ。
さーて、明日は、いよいよクリスマスや。キリストはんのお誕生日やで。キリストはんは、沢山の人々に愛を与えた。そして、神様になった・・・。うちは、どれだけ多くの人に愛を与える事が出来るのやろ?今は自分の事で精一杯で、日々細かい事に追われておるが、焦らず・気負わず、キリストはんを見習いたい。「愛」について考えてみるわ。実は、うち、占いを含めたあらゆる手法で、多くの人の力になれたらエエな・・・と、思っちょる。ささやかでも、人のお役に立ちたい言う気持ちが、強くあるのや。神はんには勿論なれないが(笑)、神はんを感じる事がでけるポジで、その様な生き方がでけたら本望やで。ホンマ、そう思っておるのや。
最後に・・・はんさん・・・本物の神社の鈴ゲットでけて、良かったな。よーく考えると、あり得ない不思議な話やが、その鈴は、いずれにしても、はんさんのお部屋に来る予定になっていたのやろ。そんな気がするで。その鈴、大切にな・・・。


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投稿者 hongkong : 2005年12月24日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑭

クリスマスプレゼントに、げっぺいはんから「特大真榊」を頂いた。わて、現在お社二体祭っておるんで、正直普通の大きさの「真榊」では用をたさんのや。エライ出費をさせてしまったが、不肖の友人と思って許してちょ。さて、「真榊」が手に入ると、次に欲しくなるのが「神棚灯篭」や。ネットでも検索したが、なかなか気に入ったモンがなく、結局、よく行く馴染みの神ショップで購入する事にした。このお店は小さな神具店やが、神具店という枠にとらわれず、いろいろな種類の神用品(神製品と、言うべきか)を取り揃えておる【画期的な店舗】や。始めて中に入った時は、「あのー、ここ・・・何屋さんでっか?」と、質問した位やで(笑)店内には、北極の石を始め、中国神商品、神雑貨が所狭しと無造作に並べてあり、神具店ぽく無い所も気に入っておる。雑然と積まれた神商品の中から、好きなもん探すのや。これが「宝探し」に似ており、止められん(爆)但し、お線香やお香は充実しており、この店を開拓してからは、スーパーで山積みされておる「よく知られたお線香」など、買う気がしなくなったわ。わて、いろんな神ショップ見てきたが、そういう意味ではこの店は№Ⅰやな。今は、「奇香」にハマッておる。
おっとっと、話がすっかりそれてしまった。「神棚灯篭」を購入するべく、まずはいつもの様に電話を入れ、商品準備を頼んでお店へGO!店内にお邪魔した所、入り口付近に「これでどうや!」と言わんばかりの灯篭群が、「さぁ、選べ!はよ、買え!」とばかり沢山並べてあった。雑然としてはおるが、全く準備のエエ店やで。このあたりの迅速な対応も、かなり気に入っておる。・・・で、結局一目で気に入った「ネットには出ていない、かなり昔の、しかしシルバーとゴールド仕様の大きめ豪華灯篭」を購入したわてであった。予算は相当オーバーしたが、気に入ったモンは外せない。意気揚々と部屋に帰り、早々神棚に飾りつけ、心から満足。そして、スイッチ・オン!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「オー・マイ・ゴッド!」高次元意識体はんが、嫌がっておるではないか!

「なんでやねん?」考える事、二日間。灯篭のスイッチを入れると意識体はんは、消える。灯篭のスイッチを切ると、しぶしぶのご出現や。おまけに、神棚周辺を避けておる。「なんでやー!」さらに考える事、一日・・・。

そうなのや。わては、その時、神棚を「見た目に綺麗にする」ことばかり考えておったが、はっきり言って【人工の光で神はん照らす行為は、そもそも矛盾しておった】のや!灯りを灯すとすれば、蝋燭の炎や。それも、わてら人間様用、暗がりで困った時の為や。

なぜなら、神はんは「光そのもの」やからや・・・・・。

わて、神はんと遭遇して早一年チョイたつが、この基本中の基本を忘れてしまった自分に「アホアホ」言うたわ。頭の中では「人間が作り上げた文化と慣習」「商業主義」と言う言葉がクルクル走馬灯状態!神はん信仰を奨励しておる神具業界にケチつける訳ではないが、人間の見栄やエゴで神はんを解釈したらあかん。神はんは、宇宙であり、自然なのや。つまり、特別飾り立てる必要は無いゆうこっちゃ。そやから、豪華絢爛な神棚や神社も、そう必要ではない。装飾・人工の光、そして人工のグリーン(榊)も必要なしや。最低限必要なモンだけあればエエ。判りやすく例えると、若く美しい女性を、むやみに飾りたてると、その美しさが半減するのに似ておる。女性は自分の意思を持っておるから、事と次第によっては、自信からその美しさが増す事もあるやろうが、神はんを過剰装飾し敬う必要は無しやで。つまり、豪華な神社やからご利益がありそうとか、有名神社やからありがたいとか、神はん立派に祭っておる宗教やから効き目がありそうとか、そんなん解釈が間違っておるわ。要は、「心一つの自然信仰」と言う事やね。

もうすぐお正月や。日本の皆はん初詣に行かれると思いますが、大変な思いして、有名神社で参拝する必要はないで。神はんは、いつでも皆はんのお側に存在しておる。大切な事は、皆はんの住いの身近にある神社に行って、「今年一年も、どうぞ宜しゅう頼みまっせ」と祈る事やな。原初の自然信仰が、全ての基本や。まずは、「存在する事に対する感謝」「自然や光を与えてくださっておる事に感謝」。これが大切や。そういう意味では、「初日の出」に向かって、心から「今年一年の無事と健康を祈る」「居住しておる土地の無事を祈る」事が、重要やろうな。「初日の出を見る」事に意義があるのではなく、「初日の出の光に祈る」事に意義があるのや。万一天候が悪うて太陽が拝めなくとも、新年の光に対して祈るのや。今、わて、大事な事書いとるのやで(笑)

神はんは、光の中に存在する光そのものや。怪しげな新興宗教では、まず部屋を暗くして雰囲気作りを行ったり、豪華祭壇や豪華お社をもうけ「威厳を強調」したりするが、それは単なる子供だましの様なモンや。ホンマの神はんは、朝日と共に存在する。至って、自然なモンなのや。笑い声を好み、楽しい雰囲気を好み、敬虔な信仰心を好む。あえて付け加えるとすれば、ポジティブな感覚や生き方を見守っていてくださる。

神はんは、光や。神はんは、自然や。そして、神はんは、宇宙なのや。


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投稿者 hongkong : 2005年12月27日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑮・・・謹賀新年・新しい年に向けて!

<はん>
皆はん、明けましておめでとうございます。昨年中は、ガーデンで、大変お世話になりました。又、今年も頑張りますさかい、どうぞ宜しゅう頼みます。
沢山の素敵なお客様、良い仲間、良いボスに恵まれて、わてにとっては幸せな年でした・・・。
尚、わては、げっぺいはんと新しいサイトをボチボチ春先に立ち上げる予定ですので、こちらのページに相互リンク貼るさかい、併せて宜しゅうお願い致します。勿論、福耳ネットは延々続きますさかい、ガーデンホムペ見るついでに見てくだされば幸いです。

ホンコンガーデンホームページ用写真 1019.jpg

大晦日、すっかりお正月モードになったマイ神社。何か、わが子の晴れ姿見ている気分で、嬉しいやら・我手から離れてしまう様な成長ぶりが寂しいやらの親心???本殿境内の鏡餅を直し、榊を綺麗にして、お塩をたっぷり供えて、ついでにオーナーから頂いたおミカンも並べる・・・。うーむ、正月モードも最高潮や・・・満足満足。そうこうしておるうちに、早朝なので空がうっすら明るくなってきた。「そうや!記念撮影や!」と、パチリ。おー、神はんが映ってくれたで。感動・・・いや、感謝や(笑)両脇の狛犬はんの目は、こんな時は赤く光る・・・(この写真では、少々分かりにくいですが)。神はん、しっかり守っておるのやな。ご苦労はん・・・。又、お世話になるさかい、宜しくな。
マイ神社・・・出雲大社・分霊
        御祭神・大国主命はん

☆尚、わてら新興宗教とは関係ありまへん。又、こちら、宗教を強制するバナーでもありまへん。只の「神様好き」ですので、そのあたり是非誤解なさらない様・・・(笑)


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投稿者 hongkong : 2006年01月01日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑯・・・古神道に奇跡なし・全ては神の手の内に

早いもんで、一月も十日になってしもうた。もう、すぐに月中や。忙しなく過ぎていく日々・・・大切に生きたいものやな。ちなみに中国のお正月は、今年は月末。旧暦で計算するのや。年頭に当っての目標を考えておかんとあかんな。


さて、先日げっぺいはんが、<越の寒梅>を抱えて遊びに来た。なかなか会う機会が無いので、楽しい半日となった。あまり時間は取れなかったのやが、世間話から始まり、久しぶりにゆっくり話す事が出来て楽しかったで。
わてらの会話の内容と言ったら、「高次元意識体はん」「神はん」「占い」と、偏っておるのが特徴やが、まぁこないな友人関係と言うのもエエもんや。特に一つの宗教に縛られる事なく、自然信仰と言う見地から、意見交換等で盛り上がった。わてら、二人共<宗教>言う言葉嫌いやねん。<信仰>言う言葉が好きなのや。この二つの言葉、似てそうやが全然違うのやで。どうも「一緒くたにされがち」やが、全然違うのやん。
ご飯食べて、神社にお参りして、その足でわての部屋に・・・。神棚の神はんにご挨拶の後は、当然記念撮影や。これも、毎度のパターン。始めはパシャパシャ無造作に撮っておったのやが、いま一つ意識体はんの映りが悪いと言う事で、図々しくもお呼び立てをする事に・・・。わてら独自の方法と言うより、古来からの形式に乗っ取って、まずは神はんに<心から感謝の意>を伝える。が、おなご二人集まっての悪ノリから、「神はーん!出てきてー!神はーん!神はーん!」と、伝統方式を無視したお呼び立て方式に切り替わるのに、一分もかからんかった(爆笑)・・・が、なぜか意識体はんが律儀に御出現されたので、満足・満足。又、おなご同士のおしゃべりタイムが延々続いたのであった。
・・・と、ここまでは、いつものパターンや。

問題は、実はここから先やった。翌日、デジカメの写真を整理していたら、とんでもない事に気がついた。実は、わて、げっぺいはんを喜ばせてあげようと(げっぺいはんと意識体はんが、新年早々コラボした記念写真を撮ってあげようと)、げっぺいはんが下向いて何かモゾモゾしておる時に、勝手に二枚彼女の写真撮っていたのや。その時は、意識体はんが映らんかったので、「残念やな・・・」と見過ごしておったのやが、何と・・・何と・・・げっぺいはんの後ろの神棚の灯篭が二枚ともコウコウと点いておるではないか!自然信仰派(古神道に近い)のわてらは、嘘が嫌いや。わて、実は灯篭を購入したのはエエが、意識体はんが人工光を好まない事を知ってしまったさかい、殆どその灯りを点ける事はなかった。電源が入っていない灯篭、しかもコードが抜かれ、半ば神棚でオブジェと化しておる灯篭の灯りがコウコウと写真に写っておる!連写で十枚程撮ったので、秒数まで入っておる写真の、この二枚だけ灯篭の灯りが点いておるのや。驚いたわては、速攻げっぺいはんにメールを・・・。すると、げっぺいはんは、事も無げに「あぁ、灯篭がついておるの、うち見たよ」と言うお答え。げっぺいはんはげっぺいはんで、わてが灯篭を点けていたと思っていたらしい。
古神道に奇跡はない。普通であれば、この二枚の写真は心霊写真のカテゴリーに入れられてしまう類のモンかもしれんが、わては「意識体はんのサービス」もしくは「意識体はんからの何らかの御礼」と内心解釈した。そして、翌日の昼、げっぺいはんから、わて宛てに誕生日プレゼントが届いたのであった。
友人を喜ばしてあげようと思った単純やが強い気持ちと、「誕生日は過ぎているが、友人に必要なものをプレゼントして、喜ばせてあげたいと思った強い気持ち」が、瞬間合致して、灯篭の灯りを灯してしまったのかもしれない。お互い、内緒で心の中で強く感じた「相手を喜ばす」と言う気持ちが、こないな現象を生み出すのではないかとも思った。
これは狭いワンルームマンションの中での出来事やけど、「相手の為」とか「喜ばせてあげよう」とか、そないな「人の為に」「人を喜ばせてあげよう」「出来る範囲で、喜ばせる事はないか」と言う思いが合致した時、神はんは降りてくるのではないかとも感じた。
当たり前やが、わてが部屋でお祭りしておる神はんに祈っておる時、電源を入れていない灯篭が点く事はない。又、そないな事を考えた事も無い。

メイクハッピイな念は、神はんを呼びやすいのかもしれへん。自己満足や自分の為ではなく、あくまでも「相手の為」「人を喜ばせてあげたい」と言う、単純やが強い思いや。

わては、たまたま写真を撮った。そして、その時げっぺいはんは、神はんを灯篭の光で見ていた・・・。

現実に生活していると、いろんな事がある。腹の立つ事もあるし、不快な思いを感じる事もある、猜疑心や嫉妬心を持ったりもする・・・。人間やから、当然負の感情を持ち合わせておる。そやけど、人々が、もし強く「人の為に」と言う思いを同時に感じた時は、もっと違った形で、大きな光や光の輪がわてらを照らしてくれはるのかもしれへんな・・・。

今、物質に溢れた世界で生活しておるわてらが、私欲を捨て「無に近い状態」になる事は極めて難しいが、例えば太古の人々・・・まだ言葉も完成しておらず、権力者もいない頃のわてらの祖先・・・太陽に感謝し雨に感謝し自然の恵みに感謝し、協力して日々暮らしておった頃の祖先達は、もしかしたら、今わてらが見ておる太陽の光と違った光を見ておったのかもしれない・・・。そして、それが本来「生」を頂いたわてらが自然に見る事が出来る<極めて日常的な光>であったのかもしれへん・・・。

何をトンチンカンな事を書いておるのやと、思う方はそう思ってください。只、貴方が私欲を全く必要としなくなった時、只々「感謝の念」だけを強く感じた瞬間、大きな光の輪に包まれる事になるやろう。始めと終わりに、光ありき・・・。



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投稿者 hongkong : 2006年01月08日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑰

<げっぺいから、はんさんへ返信>

ヤッホー!げっぺいや。

毎度毎度、返信が遅うなって申し訳ない。先日は、うちも久々はんさんと話が出来て、とても楽しかったで。これから新しいサイトを立ち上げるさかい、頻繁に会う事になると思うが、よろしゅう頼みまっせ。「神はん(自然神)と占い中心のサイト」になると思うが、これは二人とも<得意分野>言う事で、じっくり構想練って、画期的なサイトを作り上げていこうな。現在の構想では、一応<日本初>言う設定やからな。うちも、仕事辞めたし、本格的にサイト立ち上げに取り組むつもりや。はんさんはガーデンに居座りながらのサイト立ち上げになるさかい、あまり無理せんと、ボチボチ気張ってやー。
さて、先日の<謎の灯篭>の一件やが、確かに不思議な出来事やった・・・。うちは、はんさんが購入した灯篭を、うちの為に点けてくれていたと思っていたで。コードも刺さんで、スイッチも入っていない灯篭が点くなんて、想像もしていなかったわ。でも、古神道に奇跡なしや。うちは、「意識体はんが、二人を楽しませてくれた」「わしゃ、ここで二人を見とるでー」と言う、一種の意思表示なのかなとも考えたわ。よくよく考えてみれば、あの時、はんさんのお部屋には「一年間某神社を守った、鳥居・拝殿用のしめ縄」が置いてあったモンな。いろいろな要素や条件が重なって、あないな現象生み出したのかもしれへん。はんさんは「光」を写真で、うちは「光」を肉眼でぼんやり見ていた。これも又イイ経験や。うちら、あまり人が体験しない事を経験したけど、まぁ「年頭に当っての、神はんからのプレゼント」と思う事にしよう。深く考え込まない事や。だって、うちらの持論は、「神はんは全ての人に宿る・万物に宿る」やからな。人に感謝し、生あるものは大切に、何より太陽(光)に感謝していこうな。これ、基本やで!
しかし、はんさんのお部屋は、まるで神社の様やな。うちのプレゼントした特大真榊が馴染んでおって、嬉しかったで。又、はんさんがゲットした「神社の鈴」も、妙に部屋に溶け込んでおって、あないな大きな鈴なのに、しばらく気がつかなかった程や(笑)しかし、ホンマの神社の鈴は、やっぱエエな。何度も言うが、大切にしいや。今度は、二百年神社守った狛犬はん二体がお部屋に入るそうやが、益々持って異空間になりそうやな。遊びに行くのが、楽しみになったで。はんさんは、本格的な祭壇を設ける事にしたそうやが、<謎のアジト>みたいで楽しみや。又、二人で意識体はん呼んで、お話しような。
そうや、ガーデンの神棚にも意識体はんが宿った様で、良かったな。はんさん、最近「意識体はんが、いなくなった」言うて騒いでおったモンな。神はんは、しっかりお祭りすれば、宿ってくれるものなのや。ママはんの神棚らしいが、はんさん、ちゃんと面倒みてやってや。お店の運気が上がるでー。
話変わって、うちは、今、自転車に凝っております。太陽の光を浴びながら・自然の風を感じながら、あちこち遠出をするのや。自転車に乗って、小さな地元の神社巡りでもしてみるよ。車だと、逆に不便やからな。いろいろな土地の神はんにご挨拶するのや。
神はんは、光の中に存在しちょる。そして、神はんは、「楽しい気持ち」や「賑やかな雰囲気」がお好きなのや。よく勘違いされるのは、神仏系(不思議系も含む)は「暗がり」に出没し易いと言う考え方やが、それはホンの一例にすぎない。ホンマの神はんは、朝日と共に御出現される。そやから、人工光は、あまりお好きではないのやん。天照大御神はんが、例えば皇室の祖先とか、そないな解釈するより、<万物の基>と解釈するのが正しいやろ。神話の世界の話かもしれんが、その国の神話は神話で大切にし、まずは光を与えてくださった創造の神はんに感謝するのや。そやから、神はんの解釈を「こうだ」言うて決め付ける事はない。宗教観の違いも国境も関係あらへん。信ずるものが、偶像神であっても、現人神であっても、木彫りの彫刻であっても、今は構わない。まずは、万物を照らす光無しには、何も存在しない。いずれ、多くの人が気がつく、簡単な事や。その時、沢山の人々が「神の光」を体験する事になる。人々の気持ちや考え方が変われば、文化も変わっていくやろう・・・。


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投稿者 hongkong : 2006年01月20日 : 只今のコメント数(0)

神の概念・その⑱

いやん・忙しい!なかなか更新出来へん。現在、写真を検討中や。ここは心霊サイトではないので、写真の選択が難しいのやん・笑。福耳ファンの皆はん、近日中にアップするさかい、ちぃーっと待っていてな。尚、巷で「オーブ写真」や「カメラレンズの関係」「チリ・ゴミ説」が盛んやが、わての写真は違うでー。神はんは、存在しておる。勿論、貴方のすぐ側に・・・。


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投稿者 hongkong : 2006年02月03日 : 只今のコメント数(0)

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